(お前はこの終末の世界に何を望む……)
その問いに、自分ならなんと答えるだろうか。
椅子に座っている。
一人。
24時間営業のコーヒーショップ。
労働階層(第五)の巨大ビル群の街角。
安っぽく繰り返されるヒット曲のリフレイン。
目の前の、冷たくなった合成飲料入り紙コップ。
リカオン・ゴトーは、手に握った紙コップを機械的な動作で唇に運ぶ。安っぽい合成飲料の味。
もう何時間こうしてここにいるのだろう。今日はひさしぶりの、なんの予定もない休暇の日のはずだった。フリーマンなんだから、そんなのはいつだってどうにでも出来るんだけれど、受けることも出来た依頼を断って休日を作ってみた。
でもリカオンにはどこにも行く当てなんてなかった。一日さまよって、またここに。
リカオンはデビルの力を駆使できるダブルチャイルドなんだから、PSI(サイ)能力を使えばどこにでもいけるはず。でも、どこにいっても何の意味もなかった。また、ここに戻ってくる。
唇に運ぶ、紙コップの安い味。
(まったくイヤになる……)
人が命がけで依頼をこなしてきたのに、なんくせつけてまともに依頼料を払わないクライアント。感謝もせず、犬かなにかのようにリカオンたちを扱うクライアント。……そんな連中ばかりだ。リカオンは、ふっと思うのだ。
(オレは誰かに必要とされているのだろうか……)
唇に運ぶ、紙コップ……最後のひとしずく。
ため息を吐いて、リカオンは立ち上がり、店を出た。
外は、ショッピング街のサザンクロスストリート。
通りにあふれる暗褐色の人々。黒や灰色のコートを着た人々が、互いの事などなんの関心ももたず行き交うだけ。
ふと、リカオンは奇妙なPSI波動……いや、妖気のようなものを感じた。
見ると向こうから歩いてくる親子連れ。その背後から、モールの天井づたいに魔界の生物が近づいている。芋虫に似た人の二倍はある吸血虫。人間の子供の血が大好きと来ている。触手を伸ばし、父親に肩車されている子供に突き立てようとした瞬間、リカオンは動いた。
体内から取り出したデビルウェポンを一閃。吸血虫はまっぷたつだ。地面に落ちのたうつ芋虫。周囲の人々は悲鳴をあげ逃げ出した。リカオンは、芋虫にとどめを刺す。
「危ない所だったな……」
救った親子に声をかけようとしたが、親子は返り血をあびたリカオンを見ると、悲鳴をあげて逃げ出した。
「ダブルチャイルドっ!」
(ちっ……オレは化け物か……)
リカオンは武器を納め、雑踏の中に身を滑らそうとした。その時だ。
{リカオン! そんな所にいたのか}
いきなり頭に飛び込んできたのは、セツナの【テレパシー】だった。
セツナは、リカオンと同じフリーマンで、時々一緒にチームを組んで依頼をこなした仲だった。
{今から、そっちに}
「行く」
といった瞬間には、【テレポート】で、リカオンの目の前に現れていた。
セツナは緊迫した表情をしている。依頼任務中なのは明らかだった。
「リカオン。キミが断ったロスト事件があったよな」
この魔界都市エデンでは人々が突然消失する事件が後を絶たない。それは魔界の怪異現象を原因とするももあれば、人為的なものもあるが、それをひっくるめてロスト事件と呼ぶ。
「どのロスト事件。いくつかあったよね?」
魔界都市の支配者であるアークデビルのルシファーが姿を見せなくなってから、ロスト事件が増えたとも言われている。
リカオンがそんな噂を口にすると、セツナは首を振った。
「馬鹿な噂を信じちゃだめだよ。いなくなっても、第六階層みたいに、荒野になったりしてないだろ。ルシファーが健在な証拠さ……」
多くのダブルチャイルドは、魔界都市に人間を受け入れてくれたルシファーの事を大切に思っている。至高のデビルとまで言われるルシファーは、ヒーローでありアイドルでもあったのだ。特にセツナは子供の頃一度ルシファーに直接会って声をかけられたことがある。
セツナは、事件の詳細を話す。
「あれ、セツナが引き受けていたのか」
「一緒に引き受けていたキャリーのチームがロストした。三人ともだ」
セツナの言葉にリカオンは驚いた。同じフリーマンをやっているキャリーのチームは腕っこきのチームだ。それがそろってやられるとは。
「リカオンの探査能力を頼りにきたんだ。【クレヤボヤンス(遠隔透視)】が得意だっただろ」
セツナの言う通りだった。
「場所は、この辺りなのか?」
リカオンが尋ねると、セツナはこの地区の地図を広げた。
「わかった。さぐってみるよ……」
リカオンのPSI波動が強くなる。
「……これは……遠くない……いや、近い……同じモールの中に変な空間のゆがみがある……」
何者かが空間のゆがみをつくり、そこに近づいた者を引きずり込んでいるのではないか? リカオンはそう予測した。
「さすがだな。座標を教えてくれるか?」
リカオンの読み取った位置をセツナは記憶する。そして挨拶もそこそこに、そちらに向かって【テレポート】しようとするセツナに、
「オレも行くよ」
とリカオンは言った。
二人が姿を現したのは、ショーウィンドウの前だった。
小さな女の子がいる。見たところ、小ぎれいな服装をしており、エデンの中でも裕福な家庭の子女のように見える。保護者はいないのだろうか……? 少女は体を動かさず、首だけを真横に向ける。
「……コンニチワ。ワタシ、るいす」
セツナが近づこうとする瞬間、リカオンは気づいた。
「まて。空間のずれはそこから……」
少女の顔が糸をひいたように、縦半分に割れた。二人。
割れ目は二人を吸い込むと、空間の自己修復作用で、元通りになった。
「なんだ、これ……おもちゃ屋か……?」
セツナがあきれたように、見上げた通り、そこは奇妙な空間だった。サイズが異常にまちまちの柱時計の数々や椅子がならべてあるかと思えば、逆さ十字にはりつけられた人形が天井からぶら下げられている。
「この宝箱……変だ……」
再び【クレヤボヤンス】で周囲をうかがっていたリカオンがトラックほどもある宝箱を見上げて言った。
セツナはふわりと浮かびあがり、【サイコキネシス】でふたを持ち上げる。中を見たセツナは悲鳴をあげそうになる。
「!……キャリー!」
宝箱の中にあったのは、鼓動を打つ内臓のような血肉色をした器官と、その狭間に巻き込まれたキャリーたちだった。半ば肉体が溶けているキャリーの口が小さく、「タスケテ……」と動く。
「キャリー!」
セツナは、だがそれでも冷静だった。つられていた人形が剣を振りかざし、斬りつけてきたのをデビルウェポンで瞬時に受け止めたのだった。
人形とみえたのは、レッサーデビルに他ならなかった。
「ルイスまたかかったよ。ダブルチャイルド!」
人形がしゃべると、部屋全体にくぐもった声がする。
「ちょっとデビルの力が使えるからっていい気になっている連中……いけすかない」
セツナは気づいた。周囲にいるおもちゃと見えたものたちは、全てレッサーデビルが姿を変えたものであったのだ。人形たちが、動きだし迫ってくる。
あの少女の姿は罠だったのだ。デビルたちが、罠を張り人間狩りを愉しんでいたのだ。
(なんとしてもキャリーたちを助けないと!)
やれる。この人形たちはさして強くない。巨大な宝箱に近づくリカオン。だが、宝箱のPSI波動が突如高まる。それは、リカオンを遙かに超えるPSI能力だった。波動がフラッシュのように瞬いた。リカオンの視覚が一瞬にして奪われる。
「Aランクのデビルだ。セツナ逃げろ!」
と、リカオンは叫ぶが、セツナもすでに暗闇の中にいた。声だけが響く。
{まずは目だよっ}
(感覚失調攻撃か……キャリーたちがやられたわけだ。こいつじわじわと相手をおいつめていくタイプだな)
おそらく、もう同じ場所にはいないだろう。光もない、世界。やみくもに攻撃しても、互いを傷つけ合うのが関の山だ。セツナはリカオンごと、【サイコキネシス】でバリアを張って防備を固めるが、はたしていつまで持つか。
「……おびえているな。子ウサギちゃん。……お前たちの恐怖が俺達の一番のごちそうだよ……ふふ」
セツナのバリアに、すさまじい圧力がかかる。PSIレベルが違いすぎる。
「俺達の力を使えるダブルチャイルドのくせにその程度か。人間ってのは、ほんとによわっちい生き物だ。なぜルシファー様はこんな生き物との約束を……」
(ルシファー……そうだ。あの日の約束……)
ルシファー。
それは遠い日の記憶。セツナは、きっとまだ幼い子供だった。どこでだったかは覚えていない。だけど、その人の事は鮮明に覚えていた。
こんな美しい存在が、この世にいるのかと。褐色の肌に黄金の髪。
「ヒトとは面白い存在だ。ヒトは時折、とてつもない力を生む」
ルシファーはそう言って、セツナの顔をじっと眺めた。
「セツナ。それがキミの名前だね……キミも私のエデンで暮らすといい……」
ルシファーはそう言うと、セツナの額を二度指でなぞり、ふっと息を吹きかけた……。
「それがセツナと私の約束の証だ……」
額が燃えるように熱い。
セツナは顔をあげた。
「約束がある。ルシファーとわたしの間で交わした約束が……」
「嘘をつけ。ルシファー様がヒトなんぞに……」
{またせた。セツナ! 奴の座標を捕らえた!}
セツナの脳裏に飛び込んできたのは、リカオンの声。
セツナは、【ディメンションソード(次元刀)】を発動させる。両手ののばした指先から、不可視のブレードがのびる。そして、脳裏に刻んだ座標に、両手の剣をたたき込む。
手応えあり。
刃は、レッサーデビルの体をX字に切り裂いた。
悲鳴があがる。
「……ヒトなぞが、なぜ……こんな、力を……」
「オレ達が強いんじゃない。お前がバカなだけさ」
リカオンは呟いた。魔力が解け、徐々に視界がもどってくる。足下に転がるデビルの残骸。このデビルたちの方が、リカオンたちよりも強いPSIを持っていた。はなから殺す気でいれば、簡単にリカオンたちを倒せただろう。
リカオンは、セツナがバリアで必死に耐えている間に、敵のデビルの位置。そして、その急所の位置をさぐっていた。あとは、セツナがあらゆる防御を貫く【ディメンションソード】で始末すればいいだけのことだった……。
サザンクロスストリート。
デビルの罠からセツナたちは抜け出してきた。あの、罠となった少女は、灰となって崩れていた。灰を見下ろしていたセツナがふと、視線をあげると、ショーウィンドのガラスに、こちらを見ている人影をみつけた。褐色の肌に、金髪の美しい青年。
(まさか、あの人……)
振り返るセツナ。だが、そこにあの青年の姿はなく、ただ行き交う人の流れがあるだけだった。
(……まさか、ルシファーのはずはない、か……)
ルシファーなら、絶対に大騒ぎになっているはずだ。単なるセツナの見間違い。思いこみの幻覚のようなもの……そうに違いない。
その後。セツナは、キャリーたち仲間の三人を、デビルの罠から救い出した。だが、キャリー自身は、すでに命を落としていた。残りの二人は、囚われていただけで無傷だったが、キャリーの恋人でもあった一人は、半狂乱で死体にすがりついている。残る一人も呆然としていた。
デビルの罠には、彼らだけでなく、ショッピング街を訪れていた、親子連れやカップルなどが、たくさん殺されていた。子供を抱きしめたまま死んでいる親。恋人に手を伸ばしたまま死んでいる二人……。
しばらくその場は騒然としていたが、民間警察であるガーディアンズがやってきて、死体をひきとったり、後処理をしたりして、しだいにストリートはもとの日常を取り戻していく。
キャリーの死体も、恋人と一緒に、車に積まれていった。残った一人も、少し落ち着きセツナと話していたが、リカオンのもとへやってきた。
「リカオン。助かった。セツナに聞いたがキミがいなければ、俺達は皆死んでいた。キャリーのことは残念だったが……。……俺は、お前のおかげで、娘のもとへ帰れるよ」
「娘?」
「ああ、去年生まれたんだ。可愛いぜ」
そう言って、彼は笑った。
「じゃあな、リカオン」
セツナは、賞金を受け取りに行ってくると言ったあと、じっとリカオンの顔をみつめた。
「……?」
「……いや、リカオン。なんだか、変わったような気がした。気のせいだ。気にしないでくれ」
セツナは、そのまま【跳んだ】。【テレポート】して去っていく仲間たち。リカオンは一人取り残される。
と、リカオンの視界に、一組の親子連れが見えた。なんだか見覚えがある。そうだ。セツナに声をかけられる前に助けた、あの親子連れだ。
一日遊んでくたびれたのか、父親の背中ですやすやと眠っている。寝顔があどけない。
(オレはこの寝顔を守れたのかもしれないな……)
そんな事を思う。親子連れは、そのまま夕暮れの街に消えていく。
(お前はこの終末の世界に何を望む……)
それは、すべてのダブルチャイルドが突きつけられる、命題。
(平和……。かな。あの親子が、仲間たちが、帰ることができる家がある平和を……)
※このショートストーリーは、メイルゲーム『アンダーグラウンドチルドレンXX』(2009年 (有)P.A.S.)の体験版として発表されたものを、一部加筆修正しました。
『アンダーグラウンドチルドレンXX』シリーズに関しては→
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